やあヘビだよ。
今回は2018年アメリカのホラー映画「クワイエット・プレイス」の感想。
監督は一家のお父さんリーを演じた俳優でもあるジョン・クラシンスキー。
宇宙からやってきたエイリアンによって主要都市はほぼ壊滅状態。
バカでかいコウモリのようなエイリアンは目が見えない代わりにかすかな音にも反応する聴覚をもっていた。
長女リーガンに聴覚障害があったため手話になれているアボット一家は
音を立ててはいけない世界に順応して生活を送っている。
音に反応する怪物。
聴覚障害の子。
手話。
なんか聞いたことあると思ったら
2019年「ザ・サイレンス 闇のハンター」と似た設定だ。
今後聴力が優れた怪物というのはゾンビや吸血鬼みたいにひとつのジャンルになっていくのか。
音を立ててはいけないとなると手話が活躍するからそのへんは似た設定になりそうだね。
この映画は主要都市の様子は映像で一切出てこない。
そしてアボット家以外の人間がほぼいない。
アボット一家が田舎で暮らす様子の中だけで “音を立てたら、即死” の緊張感を出している。
そんな「クワイエット・プレイス」を “音を立てたはいけない” 映画として「 ザ・サイレンス 闇のハンター 」と比較しながら考えていこうと思う。
怪物の怖さと人間の怖さ

「クワイエット・プレイス」の恐怖のパラメータは怪物に全振り
「クワイエット・プレイス」にはアボット一家以外人間がほぼ出てこない。
人がいないので2019年「ザ・サイレンス 闇のハンター」のように強盗や偏った考えを持った集団のような非常事態での狂った人間の脅威は全くない。
それによって日常にあふれていた “音” がNGになる生活の難しさが際立つ結果になっている。
アボット家以外に人がいない理由の一つにクリーチャーの違いもあると思う。
「ザ・サイレンス 闇のハンター」の怪物はちょっと大きめのコウモリのような怪物がうじゃうじゃいる感じだった。
聴覚は人間のヒソヒソ話ぐらいなら大丈夫な感じだった。
なので怪物の脅威はそれほど感じないつくりになっていた。
そのかわり主人公の娘に付きまとうカルト団体の恐怖。
人間の脅威に焦点をあてていた。
人類が怪物にやられただけではなく人間同士が殺しあった感じがするほどだった。
でもこの「クワイエット・プレイス」のクリーチャーはデカい。
コウモリっぽい形ではあるけど体長3mぐらいありそうだ。
数はそんなに多くなさそうで家の周りに4体ぐらいな感じだった。
そして何より耳が良すぎる。
わずかな物音にも反応して音源を攻撃しに来る恐怖。
音を立てたら、即死。
アボット一家は手話オンリーで会話をして音を立てないように裸足で行動しているぐらいだ。
他の人間はほぼ殺されてしまったと推測できる。
結果他の人間の脅威が一切ない代わりに怪物の恐怖に全振りしている面白さがあった。
音を出してはいけない状態での赤ちゃん
そんなささやき声すらNGの世界でお母さんのイヴリンは妊娠している。
なんでこんなときに !!
つっこみたいのをぐっとこらえて観ていた。
でも末っ子を怪物にやられたばかりだった。
父のリーもイヴリンも長女のリーガンもなんとかできたはずと自分を責めている状態だったので愛を確認する必要があった。
そしてなによりもこの滅びゆく世界でのアボット家の暮らしこそがこの映画のテーマになっているんだ。
リーは着々と赤ちゃんを育てるための準備を地下室にしていた。
そして生まれると隙間だらけの床の下の地下室に赤ちゃんを箱に入れて蓋をして酸素を送る。
地下室の入り口はマットレス一枚で蓋をする。
なんでだよ !!
某芸人風につっこんでしまう始末。
ヒソヒソ声がダメなんだからマットレス一枚じゃ赤ちゃんの泣き声が漏れるじゃないですか。
しかも床板に隙間があるんですけど。
滝の裏のほうがまだ安全のような、、、
まあ物音を立てられないから準備もできないんですけどねえ。
「ザ・サイレンス 闇のハンター」での赤ちゃんの使い方と対照的だった。
止まった電車の中で多くの人が息をひそめてると赤ちゃんが泣きだす。。
母親はオロオロしてあやすが泣き止まない。
一人の乗客が赤ちゃんを取り上げてしまうがほかの乗客は関係ないと言わんばかりに黙ってみている。
母親は赤ちゃんを取り戻して電車の外に出るしかなかった。
そして赤ちゃんとお母さんは二人とも殺されてしまう。
いやな導入部だった。
ルールからはみ出した者を集団で処刑するという感じだった。
でもこの「クワイエット・プレイス」では赤ちゃんが皆を危険にさらす役割ではなく
人類の生き残りの希望としての役割だった。
ボーを失った代償

末っ子のボーはまだ音を出してはいけない状況を把握できないぐらい小さな子供だった。
物資調達にたちよったスーパーで音の出るオモチャを持って帰ろうとしていた。
お父さんは
「ダメだよわかるだろ?」
やさしく取り上げると電池を抜いてスーパーのテーブルに置いた。
かわいそうにおもった姉のリーガンは電池の入っていないオモチャをこっそりボーに持たせてやる。
ところがボーはお父さんが外した電池もこっそり持ってきていた。
アボット一家が拠点に戻る途中で一番後ろを歩いていたボーは
「ピロピロピロ」
とオモチャの音をだした。
そして皆の目の前でボーは怪物にやられてしまう。
お父さんのリーは自分の不注意さを責めながらもオモチャをこっそりもたせた姉リーガンを無意識に責めている。
そんな自分をさらに責める。
リーガンは一番自分を責めているだろうにお父さんにも責められていることを感じてしまっている。
お母さんはリュックを背負ってて両手があいてたからボーを抱っこしていればと激しく後悔し、
残った子供たちを守ってちょうだいとリーに強く当たってしまう状態。
ボーを失って家族は少しすれ違うようになってしまった。
もしボーが殺されずにいたらまとまった行動をしていたはずだ。
リーガンが家にいておなかの大きいお母さんが釘を踏まなくて済んだかもしれない。
お父さんとリーガンとの間にモヤモヤがなければ、
マーカスが怖いから魚を捕りに行きたくないと言ったときにスムーズにリーガンと選手交代していたかもしれない。
マーカスが家に残ることになって状況は変わっていたかもしれない。
お父さんが犠牲にならなくて済んだかもしれない。
でも音を出さない生活を強いられた小さなボーに
せめて電池を抜いたオモチャを持たせてやりたいというリーガンの思いをどうして責めることができようか。
ボーを愛していたみんなをどうして責めることができようか。

怪物が泳ぐところ怖かったな

コウモリっぽいから水が苦手かと思ったら
スイスイ潜ってやがったね

1997年「エイリアン4」
の衝撃

あーたしかに
泳げんのかよ !!
の絶望感だね

オマージュっぽい感じもするなあ
濡れた感じが「エイリアン」のエイリアンを連想させる

ややこしいなあw
マリリン・マンソンからマリリン・マンソン脱退のニュースみたいになりそう
あくまでも個人の感想です。みんなはどう感じたかな?