やあヘビだよ。
今回は2021年のイギリスドイツ合作のサスペンスホラー映画「ブラッド・レッド・スカイ」の感想。
これはいろいろてんこ盛り過ぎる作品だった。
ハイジャックものだと思って観ているとナディアの病気が判明。
サスペンスがブレるほどの衝撃。
さらにそれはパンデミックへと進んでいく。
人種の風評被害
人災による新型コロナ禍
親子の愛
子供を信じない大人
などなど色々とメッセージを詰め込んだ感じの作品。
しかしそれらはうまく混ざらなかった。
ナディアが変貌した姿が丸出しのまま進行するからB級ホラー臭が強くなりすぎた。
そしてそのB級ホラー臭が親子の悲しすぎる物語とか大事な要素を吹き飛ばしてしまう事になる。
良い映画になれるはずだったのに残念。
そんな上書きされてしまった悲しすぎる物語ついて、
またなぜB級ホラーになってしまったかなどについて考えていこうと思う。
まさかの吸血鬼もの !!

ハイジャックの目的は株価を暴落させて空売りで大儲けすることだった。
謎の依頼者はハイジャックチームを雇う。
リーダーのバーグを始めとするハイジャックチームはあらかじめ嘘の会合で搭乗させておいたファリードたちイスラム教徒にテロの濡れ衣を着せて脱出し機体を爆破する計画だった。
エイトボール
この映画をひっくり返すのに重要な役割を果たすのがエイトボール。
吸血鬼のパワーを得ようとナディアの血液を自分に注射してしまう。
ここから吸血鬼vs吸血鬼へと強引に展開する。
副機長のバスティアンと同様ほかの乗務員との会話からして二人とも本物の乗務員のようだ。
このサイコパスがよくこれまで問題を起こさずに勤めてきたもんだw
ブラッドでレッドなスカイ
Netflixのサムネがネタバレしないようになってることに関心した。
ハイジャックものだと思って普通にみてましたよはい。
まさかのヴァンパイアものですよ !!
そういう映画だったの ?! でいうと
2006年「ディセント」ぐらいの衝撃。
映画はとどまることを知らず
ハイジャック密室飛行機吸血鬼パンデミック
もうめちゃくちゃ。
ブラッドでレッドなスカイですよ。
終始丸出しのナディアがB級ホラーにしてしまった
ナディアは血を飲むたびに容姿が化け物になっていく。
そんな姿を隠すでもなく丸出しの状態。
そこからドタバタな吸血鬼vs吸血鬼アクションになっていく。
ちょっと萎えてしまいましたよ。
せっかくのハイジャックで逃げ場のないスリリングな飛行機の中という設定が全部吹っ飛ぶぐらい吸血鬼アクションB級ホラーになってしまった。
ナディアとしても愛する息子には自分が変貌した姿を見せたくないと思う。
そんな気持ちを残す設定にして欲しかった。
あんな姿をエリアスに見せつけるなんてあまりにも残酷じゃないか。
変わり果てたお母さんをずっと見せつけたままなんてエリアスがかわいそうだ。
吸血鬼というものは闇に潜むものなんだ
ずっと丸出しにしちゃいけないものなんだ。(脳死)
吸血鬼がコウモリみたいな顔で表現される映画ってよくあるけど
1922年「吸血鬼ノスフェラトゥ」からの伝統みたいな感じなのかな。
吸血コウモリがモチーフになってそうだよね。
ちなみにヘビの中で殿堂入り吸血鬼映画は
1992年「ドラキュラ」 (ゲイリー・オールドマンのやつ) です。
悲しみのナディアとエリアス

ナディアの病気
ナディアはヴァンパイアになってしまって日光を浴びれないから息子のエリアスが搭乗手続きをしてたんだね。
日が昇る前にニューヨークの医者のところへ行かなければならない。
骨髄移植手術を受けると言ってたけどニューヨークのブラウン医師はナディアの吸血鬼の事を知った上での手術なんだろうか。
先生がシタラビンを用意してるって言ってたけど、これは白血病とかに使う抗がん剤なんだよね。
ナディアが吸血鬼にされてしまったボロボロの家。
あそこのお父さん吸血鬼は吸血鬼について調べていたみたいだ。
お父さん吸血鬼は歯が尖ってたけど松葉づえをついてたから長らく血を摂取してないように見える。
血を摂取してたら体が再生されるはずだもんね。
冷蔵庫にあった薬を注射することによって人の血を摂取しないで耐えていたのか。
むしろこのボロ家の吸血鬼親子のストーリーが知りたい。
ナディアが注射してた薬はこのボロ家の冷蔵庫から持ってきた薬の残りかと思ったけど、
搭乗の荷物検査で「処方箋はある」って言ってたよね。
何の薬かにもよるだろうけど注射器と薬を飛行機に持ち込もうとして処方箋がなかったらだいぶまずいことになるんじゃないか。
だからナディアの薬は “ボロ家の冷蔵庫の薬” じゃなくて本当に処方されたものなんだろう。
白血病の薬がたまたま効いたとかなんだろか。
いやいや
ナディアの “病気” に関しては深く考えちゃいけない映画だ。
でもホラー脳のヘビは気になって気になって。
病気の事が気になりすぎたのも映画のテーマがうまく混ざらなかったと感じた原因の一つかも。
もっと素直に観るべきだった。
悲しみのエリアス
エリアスは幼いのにすごく賢い。
搭乗手続きだけじゃなく日常生活でいつもナディアの助けになってきたことがうかがえる。
完全に容姿が変わってしまったナディアでも懸命に助けようとする。
ナディアはナディアで息子を育てながら息子の血を飲む葛藤と戦ってきた。
後半の扉が吹き飛んだ貨物室でエリアスは自分の血を飲ませることによってナディアを助ける。
意識を取り戻したナディアはエリアスを抱きしめたいけど血を欲する衝動が強すぎてエリアスを押しのける。
母に遠ざけられるエリアスはどんなに悲しいことだろう。
ナディアもまたどんなにエリアスを抱きしめたかっただろう。
ナディアはエリアスを自分から守るために去っていく。
ラストで起爆装置をもって飛行機に駆け寄るエリアス。
エリアスは人の血をたくさん摂取したお母さんがもうお母さんではなくなったと判断して飛行機の爆弾を起爆する。
貨物室で別れを済ませた感じだったけど、やっぱりいつものお母さんに戻ってくれるかもという望みはまだあるだろう。
変わり果てたナディアが叫びながらエリアスに向かっていく。
まさかエリアスを抱きしめるために、、、
いや、せめてナディアの自我はとっくに崩壊してた事を祈ろう。
あくまでも個人の感想です。みんなはどう感じたかな?