やあヘビだよ。今回は2006年のゾンビ映画「セル」の紹介。原作は2006年スティーヴン・キングの小説「セル」。
この映画はよくあるようなゾンビ映画な展開ではあるんだけど「ゾンビ」がおなじみのゾンビの感染の仕方とは違うんだ。突然電話から発せられるパルス音を聞いた人がゾンビのような状態になって人を襲いだす。そして次第にゾンビたちの習性がわかってくる。
途中からオカルト要素がからんできてキングらしい世界になってくるんだけどキングが好きなヘビみたいな人は楽しめるだろうけど、映画としてはキングを知らない人に楽しめるのかなあと心配に思ってしまうそんな作品でもあります。はい。
ありがちなゾンビ映画からキングの世界へ

漫画家の主人公クレイはボストン空港についたところだった。電話している人たちの電話から突然パルス音が出たかと思うと人々は苦しみ泡を吹いてゾンビのようになって人々を襲いだす。クレイは別居中の妻と息子の安否を確認するために地下鉄で知り合ったトムとアパートで保護したアリスと3人でニューハンプシャーを目指す。
無法地帯になった町を慎重に移動するという王道のパターンからのすべりだし。

この手のホラー映画は主人公がだいたい奥さんと別居してるねw

一度離れ離れにしなきゃないけどなんか他に方法あるかな。出張とかw

同じキング原作の映画「シャイニング」の場合は家族の微妙な関係が後々生きてくる感じがあったけど今回はそんな感じもとくにないし。

まあたしかにねえ。でもなんかそんな細かい設定も含めてキングの世界ぽいとこもあるからねえ。

ああなるほどそれはアリだね。キングの世界の雰囲気。

クレイの夢にでてきた赤いフードの男。夢の話をしているとみんなも赤いフードの男を夢でみていたことがわかる。そして途中で会う人もやっぱり夢に出ていた。
赤いフードの男がゾンビたちを一つに束ねて人類全体に作用している。思ったより怖い展開になっていく。

やった。キングの世界になった。

赤いフードの男が映画「エルム街の悪夢」みたいに夢の中でも襲ってくる事になりそうで怖かったけどそういう展開じゃなかったね。

キングのゾンビの設定は一体どこに着地するのかなと不安だったけどちゃんとキングの世界になっていった。
安易に原作の時代背景を2016年現在に変更して映画化してしまった結果

原作が2006年だからまだスマホがない時代の話。映画では2016年現在みたいな設定にしてるからスマホがやたらでてるんだけどみんな無駄に電話ばっかりしてるんだ。
電話させないと感染できないから仕方がないけどスマホでみんなあんなに電話ばっかりしてないよねw スマホって電話として使うほうが少ないよね。
無理に2016年現代にしないでガラケーだけにして “2006年ボストン” ってしちゃうのはだめだったのかな。そうすればそこらで電話ばっかりしてても違和感がなかったのに。

無理矢理スマホを登場させても通話しかしないなら2006年のおはなしでよくない?

まあそうだよね。スマホを登場させると移動中とかに地図を確認したり情報を仕入れたりとかしなきゃなくて面倒になるよね演出的に。そういう演出が無いと無いで不自然に感じてしまうし。

今はスケジュールも連絡も調べものも全部スマホ一つでやる時代になったからスマホもって電話だけしてる人ばっかりだと不自然だよね。

通話だけが危険なんだから情報収集はできるよねとかなってくる。ゾンビたちがパルスを口から出して聞かせてくるって情報だってSNSで得られるかもしれない。

スマホを活用しないって武器を持ってるのに素手でゾンビと戦うみたいなもんだ。

安易にスマホを登場させたばかりにつじつまが合わなくなってしまった。原作のまま2006年でガラケーだけ登場させておけばこんなことにならなかったのに。

まさかとは思うけど2016年に変更したわけじゃなくて撮影の準備で電話をいっぱい用意させたらスマホがいっぱい用意されてそのまま使ったとしたら、、、

まさかそんな恐ろしいことがあるわけ、、、
ゾンビの恐怖じゃないキングの恐怖だ

デカイ人が包丁を持って暴れるというスタンダードな恐怖。はさておき、
この映画のゾンビは耳からパルスで勧誘するよね。こういう映画って聴覚障害をもった人物が登場して活躍するパターンがあるけど出てこなかった。

この人が新たな仲間でソレかと思った人もいるんじゃないかな。でもただのゾンビだったね。
一般的な “ゾンビ” はゾンビになってしまう恐怖ってのがあってそういう演出があるよね。
噛まれたりすると噛まれた傷の心配よりもゾンビになる不安と恐怖だったりしてゾンビになったら殺してくれとかゾンビになるくらいなら死ぬという演出。
この映画はそういったゾンビになる恐怖というものはあまりなかった。
でもキングの恐怖が待っていた。
美しいバーのシーン

バーでみんな寝ていたけどドアが気になったおばさんはドアに耳を当ててドア越しにゾンビにされてしまった。そしておばさんはゾンビ達をを招き入れていた。

このシーンは怖かった。なんかこのシーンだけ違う映画みたいなテイストだったよね。鍵のカットなんかはデヴィッド・リンチっぽい感じがしたし。

怖いよねこれ。おばさんの夢なのかなとも思った。パルスの周波で鍵が揺れてたのかな。
自ら電話のようにパルスを発するゾンビ

最初は普通のゾンビ映画のゾンビのように人を襲ってかじったりしてたゾンビだったけどしばらくするとゾンビの口からパルス音が出ることに気づくよね。
そしてなんとバーで襲われたとき明らかに耳元でパルス音を発してゾンビにしようとしてた。この不気味怖さにゾッとした人は多かったんじゃないかな。
学校の校庭でラジオの音を出しながら休止してるゾンビたちもすごい不気味だったよね。
ふとヘビは思いました。これ伊藤潤二の漫画の世界みたい。
人間から人間じゃないモノなる恐怖。普通のゾンビも人間じゃないものになるんだけどそうじゃなくて “人間から無機質な要素がでてくる恐怖” これ、怖くないですか。
カシュワクへと誘うゾンビたち

“カシュワク” という土地が安全らしいけど罠じゃないかという人も。でもクレイの息子も “カシュワクに行く” と伝言を残していた。
校長先生が仮説を立ててたけど人類が巨大有機体の一つになるんじゃないかと。これがタイトルの本当の意味 “Cell (細胞)” なのかな。ゾンビたちはみんな同じ行動をして同じものをみて共有している。巨大有機体の一つの細胞のように。
だからゾンビ全体で人類全体を取り込んで一つにしようとカシュワクに呼んでるんだ。
自我を失って違うモノになる恐怖。
あれ?これって結局一周回って普通のゾンビ映画と同じ恐怖になっちゃったかな。
でもなんというかキングの恐怖はもっと穏やかな恐怖だよね。じわじわと染み込んでいくような。
サミュエルまさかのオネエ役かと思いきや

ジョン・キューザックとサミュエル・L・ジャクソンの「1408号室」のタッグ再びと思ったらサミュエルの様子がおかしい。

サミュエルがゲイ役w

最初の方のシーンでサミュエルの悲鳴を聞いて今回こんな感じで行くのかなと思ったら後は普通のサミュエルだったw とりあえずサミュエルをゲイにしておけばLGBTにも気を配ってますって感じがすごい雑で逆にあおってるみたいw

もうアジア系のベジタリアンでも出して全部に気を配ってますってすればw しかしサミュエルのおなじみFワードのアレはやっぱり時代的に完全にNGになったんだろうか。不発だよね最近。
あくまでも個人の感想です。みんなはどう感じたかな?