やあヘビだよ。今回は2013年の宇宙を舞台にしたSF映画「ゼロ・グラビティ」の感想。監督はアルフォンソ・キュアロン。この人は1998年「大いなる遺産」の監督なんだね。あれすきだったなあ。
ベテランの宇宙飛行士らと初めての宇宙空間で緊張しながらの船外活動を行っていたライアン博士はとんでもない事故に見舞われる。
スペースシャトルは大破して生き残ったライアン博士と指揮官のマットは衝撃で宇宙空間に放り出されてしまった。
地球に帰る術を失ったライアンたちはわずかな可能性を模索しながら生きて帰るため奮闘する。
この映画は本当に美しくて恐ろしい。
美しい地球が見える無重力の宇宙空間を舞台に衝撃で回転し続けたまま漆黒の空間に放り出される恐怖。予想以上に働き続ける慣性。
そして普通の宇宙もの映画にあるはずの管制官側の描写がない事による際立ちすぎる孤独感。
さらに当時も評価されたらしいサンドラ・ブロック演じるライアン博士のパニックが観る人に伝染するレベルの演技がすごい。
伝染しすぎて具合悪くなっちゃう人もいるかもしれない。
半年だけ訓練して初のミッションでとんでもない目にあうライアン博士

「このミッションは嫌な予感がする」
スペースシャトル “エクスプローラー号” は地球の上空600キロのハッブル宇宙望遠鏡と接続して停泊している。
- ライアン・ストーン 博士 (サンドラ・ブロック)
医学用に設計された試作型スキャンシステムをハッブル宇宙望遠鏡に搭載する作業 - 指揮官 マット・コワルスキー (ジョージ・クルーニー)
船外活動ユニットのテスト飛行でぐーるぐる - シャリフ
ハッブル宇宙望遠鏡の修理作業
3人は船外活動中。
マットの聞き飽きたジョークをヒューストンとやり取りしながらほのぼのしたムードは一遍して急遽ヒューストンからエクスプローラー号へ緊急退避命令がでる。
ロシアが自国の人工衛星をミサイルで破壊して時速3万2千キロで軌道を周回していた人工衛星の破片が次々と他の人工衛星に衝突して破片を増やしながら時速8万キロになってエクスプローラー号の方に向かっているらしい。
多くの人工衛星が破壊されたことによってシステム障害が起こって通信もすぐに途絶えることになるという。
ちなみにこのデブリ (宇宙ゴミ) が連鎖的に次々に衝突を起こしてデブリが自己増殖する危険をNASAのドナルド・J・ケスラーが提唱していたケスラーシンドロームというのがあるそうです。
デブリ同士の衝突によって加速度的にデブリが増えるという現象はケスラーによって1970年代から提唱されていた
ケスラーシンドローム
最終更新 2020年3月13日 (水) 01:20
『ウィキペディア (WIKIPEDIA): フリー百科事典』
そうこうしているうちに無数の破片が到達した。
巨大な人工衛星の破片はシャリフに直撃しエクスプローラー号は壊滅的な被害をうけてグルングルン回転を始める。
エクスプローラーからアームでつながれていたライアン博士もぐるぐると振り回されることに。
そしてさらに次の破片の衝突ででアームがへし折られるとライアン博士はアームごと吹っ飛ばされて数秒でマットが肉眼で確認できないほど漆黒の宇宙空間の彼方にに吸い込まれて行った。

「このミッションは嫌な予感がする」
とかジョークの滑り出しにしてもやめてくんないかな危ないから

とんでもなく危険な空間にいるのになに縁起の悪い事言ってんだよなアイツw

実際とんでもないことになったんだけどさw

しかし最期のマットが引っ張られ続けたけど慣性ってあんなに働き続けるもんなんだね

一度止まれば終わるもんだと思ってたから意外だったな
速度が出すぎてたんだろうな

ISSに向かって最後の噴射をしたとき
噴射しすぎだろ!!と思ってたけどねえ

まあそんな気もしたけどベテラン宇宙飛行士なんだから計算のうえだろw

怖すぎる

絶対宇宙なんか行きたくないよなw
息が詰まるほどの孤独感の演出

「地球に戻るか?ここにいるか?」
この映画はよくありがちな宇宙もの映画と違う感じのとこもあってすごく孤立した感じが際立ってる。
事故が起こって必死にエクスプローラー号のクルーに呼びかけてるであろうヒューストンの描写が事故後一切なくなる。
これによって観てる人もライアンと同じ孤独感を味わうことになるんだよね。
今までのありがちな映画だと
- 主人公 (事故の当事者)
- クルーの家族
- ヒューストン
の三つの視点になって家族愛とか責任感とか愛国心を描くものが多かったよね。
だけどこの映画は徹底して誰もいない。
ISSに行っても誰もいない。まあ避難してるだろうから当然なんだけどさ。
地球がすぐそこに見えるってのもなんだか逆に孤独感を際立たせるよね。そんなことないんだけど地球にも人がいないような感覚に陥る。
この映画はライアンが1人になってから本当に1人のシーンだけになるという面白い映画なんだ。

この映画はライアンが1人になってからヒューストンのシーンがなくなって成功してるけど
2017年の映画「ライフ」は逆にヒューストンのシーンが無くて失敗してたね

ライフはそれだけの理由じゃなさそうだったけどなw
ISSのセットを丸ごと作ったみたいだけどなんだか宇宙空間にあるISSって感じがしなかったもんな

この「ゼロ・グラビティ」はすごかったね
ISSの中でもチャイニーズステーションの中でもちゃんと宇宙に浮かんでる感じがした

さらにビックリなのがこの映画は90分しかないんだよな

そうだった
それでいてダラダラした感じもなく打ち切った感じもないから長くも短くも感じないという不思議な映画だった
いい意味で

いい意味で
何年先まで宇宙は危険な存在なのか

「大地を踏みしめ自分の人生を生きろ」
この映画は簡単に言えば宇宙に行って地球に帰還するって言う話だよね。
人類にとって宇宙は未知で危険なもので宇宙に行けるようになってからそこは全く変わってない。
だから宇宙から戻ってくるってだけで映画になるってわけだよね。
1995年「アポロ13」もそうだし2015年「オデッセイ」も帰還する話だよね火星から宇宙にでるのにまず一苦労だけど。
未知で危険な所に行って帰還するからそれだけでアドベンチャーになるけどこの先何年か何十年か何百年か経ってテクノロジーが進歩すると宇宙に旅行感覚で行けるようになって危険がなくなってしまったらこの手の映画は成り立たなくなるんだろうねえ。
アポロ13の場合は実話だから違う意味を持ってくるけど
創作ものだとただ家からでて家に帰るぐらい安全な話になってしまうよねw
「スタートレック」とか「スター・ウォーズ」はその辺もう完全に宇宙にいるだけなら安全な時代になっててそのうえでのお話だからそう考えると全く違うSF映画なんだよね。

「スター・ウォーズ」はもう大気圏突入とかいう描写が無いからね

そういえばそうだ
もう科学が進歩しすぎて大気圏突入なんか絵にならない世界だ

惑星を秒で破壊する兵器があるぐらいのテクノロジーだからな
他の惑星に行くなんて車に乗って走るぐらいの感覚だろうな
マットの幻影はライアンだけじゃなく映画も救った

「地球に還るんだ」
マットのおかげでたった一人の生存者になったライアン。
マットの助言通りISSからソユーズでチャイニーズステーションへ行くはずがさらなるトラブルで燃料を使い果たしてしまってついに諦めてしまうことに。
ライアンは無線で救助を求めていたときに偶然ひろった地球にいる “アニンガ” と言う人物の子供をあやす声を聴きながらソユーズの酸素濃度を下げて永遠の眠りにつこうとする。
すると突然ソユーズの窓を外からたたく音に目を覚ましたライアンが見たのはマットの姿!
生きとったんかいワレ!!
ライアンが驚いているとマットは外から窓をがばっと開けてソユーズに入ってきた。
おや?
そう。マットは残念ながら幻影だった。。。
ここでマットの幻影はソユーズの燃料がなければ着陸時の逆噴射を推進力にしてチャイニーズステーションに行けばいいと教えてくれる。
実際にはライアン博士が死ぬ間際にひらめいたわけだけど
今度は心をマットに支えられたライアンは酸素を供給を戻して死んだ娘に誓ってチャイニーズステーションを目指す。
このマットの登場はストーリー上もちろん大きな意味を持っているんだけどその他にも映画としても大きな役割を担っている。
まず普通にマットがまた登場することによる安心と期待たるものや。
半年しか訓練してない初めての宇宙のミッションに挑んでいたライアンにとってどれほど頼もしい存在か。
ましてやとんでもない事故から救ってくれた頼もしいマットが現れることによる。
もう大丈夫だ!
って感じがすごいよね。
でもそれだけじゃない。
映画の構成的にみるとこの映画はライアンの孤独感を表現するためにライアンが1人になってから本当に1人のシーンが続くわけだよね。
それによってライアンの孤独と不安が観てる人によく伝わるといういい効果なんだけど同時に観てるほうもしんどくなってくるわけだ。サンドラ・ブロックの素晴らしい演技も相まって。
そこでジョージ・クルーニーの登場ですよ!
これによって万策尽きたライアンと観てる人に光が差すわけですねはい。
実にうまいですねえ。
映画的にも光を刺すことによってライアンと同じように観てる人も息を吹き返す効果があるんですねえ。
またマットがジョージ・クルーニーだからこそってのもあるよね。

マットが死んでからもライアンの中で助けてくれるってやっぱりよっぽどの存在だよね
最初にあの空間に放り出されたのを救いに来てくれたって事がマットをすごい存在にしたよね

そうだねあの孤独と恐怖からのヒーロー現るだからね
そしてマットが死ぬことによって
死んだ娘が遠い存在になってたけどマットと娘が会ってるんじゃないかと
よりまた娘を身近に感じるようになって活力がわいてきた

悲しみが戻ってきたわけじゃないけどまた娘を近くに感じるようになったんだね

母は強しを出してきたけど
長くないせいか嫌味な感じはしなかったね

無駄がない映画だった
相当いろんなシーンをカットして仕上げたんじゃないかな
あくまでも個人の感想です。みんなはどう感じたかな?