やあヘビだよ。
今回は2022年ドイツのホラー映画「オールドピープル」の感想。
妹の結婚式に出るために子供たちを連れて久しぶりに故郷に戻ったエラ。
そこはもう老人しかいない寂れた街になっていた。
何年も会っていなかった年老いた父親アイケは老人ホームに入れられていた。
老人ホームを訪ねるとアイケと同様に入居させられて誰も面会に来ない老人たちであふれていた。
そして妹の結婚式の夜、人手が足りないことで粗末な扱いを受けていた入居者たちはある出来事をきっかけに若者を狙った殺戮集団と変貌する。
老人ホームにぶちこんだまま会いにも来ない家族。
人手が足りない施設で老人につらく当たる介護士。
この映画は迫害を受けていた老人が復讐の鬼になる。
と見せかけて実はオカルト的要素があった。
老人が襲い掛かってくるという光景はなんとも恐ろしい。
それはやっぱり老人にならないと理解できないであろう “老人” に対する未知の要素があるからではないだろうか。
宇宙、幽霊、ウイルス、など未知のものは怖いと相場は決まっている。(語彙力喪失)
暴徒と化した老人たちにいったい何があったのか独断と妄想で考察してみようと思う。
助けてくれの本当の意味

仕事に対する日本と海外の感覚の違い
老人ホームの入居者たちはひどい仕打ちを受けていた。
人手が足りないのに増え続ける入居者の面倒を見る介護士は大変だっただろう。
つらく当たりたくもなるだろう。
でも反撃できない老人を虐めたりバカにするのは卑怯だ。
こんな田舎町で結婚式が頻繁にあるわけじゃないんだから今日ぐらい音楽を聴いていてもいいじゃあないですか。
介護士も帰りたいだろうけど今日だけなんとか。
エラたちが老人ホームに入ったときに玄関がひどいありさまだったね。
人手が足りないから掃除をする暇もない。
日本人の感覚だとビックリするんだけど、外国だとできないもんはできないと放置するんだよね。
海外のニュースを見ると感覚の違いにビックリすることが多い。
これ以上働く給料をもらっていないという理由でドアを開けてまで確認しなかったという警備員。
コロナ感染者が続出してゴミ収集作業員が足りないからという理由で収集されないゴミで溢れかえった集積所。
日本ならあり得ない光景だ。
日本で人手不足になっても一人が二人分、三人分働くから絶対にゴミ集積所のゴミが収集されないことはないよね。
日本人は帰らないで睡眠を犠牲にして仕事をこなす。
日本の老人ホームが舞台だったら激務を課せられた介護士が老人を皆殺しにする映画になりそうだね。
どんなことがあってもゴミが集積所にゴミが放置されないことはとてもありがたいことだ。
でも人手不足なのに無理やり仕事をこなしてしまうと不測の事態が起こるたびに同じように解決しなきゃいけなくなるからあんまりよくないことかもしれないね。
「できない」とならないと経営側が解決案を出す必要がなくなってしまう。
作業員が自分で自分の首を絞めていることになっているかもしれないジレンマ。
ザウルハイムの老人ホームの場合はひどい有様が一目瞭然だから経営者は対応せざる負えないだろうね。
そもそも働く若者がいないっぽいんだけど。
「助けてくれ」
靴下をあんな使い方をするってあの爺さん軍人だったのかな?
ちょいちょい映画で靴下を武器にするシーンをみると
1987年「フルメタル・ジャケット」を思い出しちゃう。
あっちは石鹸だったけど。
しかしあの爺さんなんでゲロかけるんだよ怖い。
2009年アメリカのホラー映画「スペル」の入れ歯が外れて歯茎で噛んでくる老婆ぐらい意味の分からない怖さじゃないか。
一見老人たちの目的は自分らにひどい仕打ちを行ってきた若者への復讐に見えるけど実は違った。(ホラー映画脳の独断と偏見)
あの軍人爺さんが捕まった時に
「動物のように生き続けるなら死んだほうがマシだ」
他の爺さんは
「ハンナわしの娘だ。助けてくれ」
冒頭のシーンで老人が訪問介護士を殺す前にも
「助けてくれ」
と言っていた。
さらにエラのお父さんが老人ホームに入っているのも知らずに何年も会いに行かなかったということも相まって、
施設にぶちこまれて毎日動物のように扱われてる状況から助け出してくれの
「助けてくれ」
だと思わせる。
でもほとんど反応を見せないアイケが時折みせる何かに抗うようなしぐさ。
孫のノアを安全な屋根裏に隠したり、静かにしなさいというジェスチャー。
認知症の人が時々正気になる事もあるけど、
この土地に伝えられる石碑のことを思い出してほしい。
“2千年前の記念碑。先祖の霊に捧げる像。”
“老人を敬うために家族を守るとされている”
“一族が栄え年長者が敬われるように見守ってる”
“家族を傷つける者は呪われる“
“呪う” とかなんか邪悪な感じがしますねえ。
しかも字幕だと “記念碑” となっていたけど吹替だと “慰霊碑” となっている。
そして映画の導入部に
“かつて老人には復讐の魂が宿ると考えられていた“
“邪悪な力が一家で最も弱い老人に取り憑き”
“盲目的な怒りへといざなうのである“
こんな話があった。
日本の風習で恐ろしいモノを奉ることによって鎮めるというのがあるよね。
この慰霊碑は守り神というよりそっちに近いんじゃなかろうか。
そう考えると老人たちは意地悪をされて
「屋上へ行こうぜ…久しぶりに…キレちまったよ…」
と老人の内側から復讐心が芽生えたわけではなく、
ひどい扱いをされる事によって心も体も衰弱した老人に復讐の魂が宿った。
邪悪なるものが外から老人にとり憑いたということだ! (妄想爆発)
老人たちは自ら復讐を果たしていたわけではなく邪悪なものに支配されていたのだ。
「助けてくれ」
はこんなことしたくない邪悪なものの支配から助けてくれということだったのだ! (悦)
なのでアイケが軍人爺さんからローラを守ったときに歌で認知症から我に返ったんじゃなく歌で我を取り戻すことによってとり憑いた邪悪なものに打ち勝ったんだ。 (そうに違いない。そうあるべきだ。うん)
老人を敬え。なぜならお前たちもいずれそうなるからだ。

老人ホーム
なんとなく「老人ホーム」という名称に戸惑ったんで調べてみた。
1963年(昭和38年)に制定された老人福祉法によって老人ホームに改称及び体系化が行われ現在に至る。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本ではかつて老人ホームは行政の「措置」による入所が専らであったが、介護保険法成立以降は利用者本人や家族の「契約」による入所が基本となった。
最終更新 2022年8月25日 (木) 00:46
昔は「入所されられる」事が多かったんだねえ。
最近老人ホームって看板を見かけないような気がしてた。
言葉狩りの時代だから「老人」という表現が引っかかるかなと思ったけど法で改称された正式名称だった。
なので堂々と使おう。
でも改称されて59年も経ってるから (2022年現在) そろそろ狩られるかもしれない。
敬うべき人は敬う
日本では少子高齢化がだいぶ前から問題になっている。
でもそれは日本だけの問題じゃなかった。
ドイツも日本と同じような時期から少子高齢化が進んでいるんだね。
近頃年寄りを敬う必要はあるのか? などという話題を目にするようになった。
少子高齢化が進んで年金や保険などで若者の負担が増えているストレスが大きく関係しているように思う。
さらに最近よく目にする年寄りが起こす交通事故のニュースがさらに年寄りの印象を悪くしている。
交通事故を起こしても責任能力がないからと無罪に近い状態になる嫌な印象がついてしまう。
でも年寄りとひとくくりにする前にちょっと考えてみて欲しい。
年寄りだって自ら危ないと判断して運転免許証を返納する人はいる。
年寄りだって良い人も悪い人もいるんだ。
若者もまたしかり。
結局は個人なんだよね。
でも面倒だから年寄りとひとくくりにして判断する。
なにか立て続けに嫌な思いをして、 “この世代はろくな奴がいない” と思う気持ちはよくわかる。
でもこれは危険なことなんだ。
逆に考えてみて欲しい。
一部のろくでもない若者のせいで若者全体の評価を下げるということを。
いずれみんな老いていく。
老いれば思うように体が動かなくなって働けなくなることもあるだろう。
そのときに国が守ってくれる制度は、生きていればいずれみんな恩恵を受ける制度ということなんだ。
確かに若者にも老人にも敬う気になれない人はいる。
嫌なことは印象に残りやすいものだよね。
でも敬うべき立派な人もいる。
自分もいつの日か敬われるような立派な老人になれるように努力を忘れないで生きていきたい。
あくまでも個人の感想です。みんなはどう感じたかな?