やあヘビだよ。
今回は2017年カナダのゾンビホラー映画「飢えた侵略者」の感想。
カナダのケベックの田舎町ではすでにほとんどの人がゾンビになっている状態。
主人公の男ボニンは一緒に行動していた友人のヴェジーナを失って一人になる。
その後物資を調達しながらボニンは出会った生存者たちと共に安全な場所を求めて移動する。
この映画はゾンビ映画なんだけどボニンの人との出会いと別れといった
ドラマ色の強い作品。
ゾンビについての謎は謎のままになっているので
説明不足を不満に思う人にはあまりおいしい作品にならないかもしれない。
ヘビとしては登場人物がみんな善人だったせいか思い入れが強くなったので面白く切なかった。
そのためゾンビの謎を放り投げた感じも悪い印象ではなかった。
みなまで語らない事でいろんな考察や妄想をさせてくれる良い結果になったと思う。
そんなゾンビ映画だけどホラーというよりドラマチックな「飢えた侵略者」について考えていこうと思う。
ゾンビの不気味な行動

多くのゾンビ映画がある現在、ゾンビ映画を新たに作ろうと思ったら新しいゾンビの設定に迫られて苦しむかもしれない。
昔のゾンビ映画だったら体が朽ちているはずのゾンビが走って追ってくるだけで脊髄に稲妻が走る衝撃だったはず。
反則をやってのけた衝撃。
でも最近のゾンビは走るのは当たり前になってきている。
この「飢えた侵略者」のゾンビの特徴としては
ゾンビだけど人間の意識が残ってるのか?
と思わせるところ。
ゾンビは獲物を見つけると叫んで仲間を呼ぶ。
「腐って何も考えてないようだけどコミュニティ意識があるのか?」
とちょっと気持ち悪い要素だった。
それよりも最も不気味なとこはやっぱり高く積み上げたイスだ。
あれだけ高く積み上げるのは人間でも大変。
しかも足場も道具もなさそうなのにものすごい高さに積み上がってる。
人間離れしたものは不気味なもんだよね。
そもそも手で積んでないのか?
特殊なパワーで積み上げるのか?
まさかただのゾンビだと思ってたけど宇宙からのヤツですか?
結局映画の中で椅子について何も明かされることはなかった。
でもそれはそれで不気味なんじゃないか。
それで出来上がってるんじゃないだろうか。
- ケベックという土地柄からそもそもゾンビに追いやられるって言うのは植民地支配のメッセージがあったのか
だからゾンビは個々じゃなくてコミュニティが形成されてたのか - ゾンビになっても親子は手を繋いでたし人形を撫でてるゾンビもいたから人間のときの全てを失ったわけじゃないのか
- ボニンとタニアが寄り添っていたからゾンビになっても愛は残るのか
- 積み上げた椅子を眺めていたからゾンビになっても目標や達成があると安心できるのか
などなど勝手に推測できるって楽しいじゃないですか。
ヘビは全てを説明される映画よりも、
勝手な妄想や考察をさせる猶予を残した作品が好きなんだ。(たぶん)
わずかな生存者の物語

この映画はゾンビの不気味さや怖さよりも人間の物語に焦点を当てた印象をうける。
ボニンが残り少ない生存者と出会い別れる。
こんな人間が残り少ない状況だから年寄りから滲みでる哀愁が辛い。
登場したときは銃を構えて頼もしい年寄りだと思ったけどその家には年寄り二人しかいなかった。
どうせ逃げ延びても先がない子供たちももういない。
そんな身も心も疲れ果てた思いが伝わってくるようで悲しい。
テレーズの最期の穏やかな顔が忘れられない。
「わたしはもういいんだ若いお前たちで命を紡いでいくんだよ」
そう言ってるかのようだった。
逆に子供が登場は希望に満ちている。
ゾエの登場でこの人類絶滅しそうな世の中に光がさす感じがした。
子供は未来だ。
子供は希望だ。
子供たちががいればまだやり直せるかもしれない。
また人間が繁栄するかもしれない。
絶望的な世界だからこそ希望が際立つ。
登場人物みんなが善人だったのも良かったと思う。
こんなご時世に略奪の限りを尽くす人物が全くいないとなると違和感を感じる人もいるかもしれない。
でもこの物語は一部の生存者の一部の物語だ。
悪者はこの物語、ここまでの物語にはいなかった。
ただそれだけなんだ。
最後の男とゾエにはこれからそんな脅威が待っているのだろう。
あくまでも個人の感想です。みんなはどう感じたかな?