やあヘビだよ。
今回は2011年アメリカのホラー映画「ザ・ライト -エクソシストの真実-」の感想。
葬儀屋の息子マイケルは家から出たいがために神学校へ進む。
学士資格さえもらえればいいと思っていたマイケルだったがマシュー神父にバチカンでのエクソシスト講座に行くことを勧められる。
エクソシスト講座に懐疑的だったマイケルはある日講師のザビエル神父からエクソシストであるルーカス神父に会うよう勧められる。
ルーカス神父なら “証拠” を示してくれるだろうと。
最初のうちはルーカス神父のエクソシズム (悪魔祓い) に立ち会っても考えが変わらないマイケルだったが、徐々に認めざるを得ない現実を突きつけられる。
この映画は幼い頃母を亡くしたことで信仰に疑いを持っているマイケルが神と悪魔の存在を認めるしかない恐怖を突きつけられるホラー。
面白いのは観客を一方的に神と悪魔の存在を認めさせるようなスタンスの演出じゃないところ。
観客はマイケルと同じように懐疑的と確信的の間を行ったり来たりすることになる。
そんな感じで観ていたら患者に実際悪魔が憑いていなかったとしてもエクソシズムに救われる事があるんじゃないかという思いが出てきた。
そんな悪魔の有無、そしてエクソシズムにおける患者の救済について悦に入って気持ち良く (気持ち悪く) 考察してみようと思う。
己の内に宿る悪魔

この映画で観客はマイケルと同じように
「患者に必要なのは医者ではないのか」
「やはり悪魔なのか」
と判断できずに終盤をむかえる事になると思う。
そして終盤になると、
ルーカス神父の言う悪魔の定義は比喩も含んでいるのではないかとそんな考えになってきた。
そう思わせるような悪魔の肯定と否定、どちらも誘う演出が面白かった。
悪魔は我々の罪を全て知っている
ホラーファンだけど現実主義なヘビはホラー映画の世界に入り込んで観ていてもどうしても現実的な解釈を探してしまう。
それは現実的にあり得ないからと否定して白けるのとはまた違うんだ。
この映画の好きなとこはマイケルが悪魔を認めだしてきた後半でも観客が懐疑的な見方ができる演出をあえて入れてるように思うところ。
それはマイケルの心境とうまくシンクロさせられたと言ってもいいのかもしれない。
マイケルは言葉巧みな悪魔に何度も足下をすくわれる。
人はだれしも罪や後ろめたい秘密があるもの。
それが全部バレているという恐怖は想像に容易い。
悪魔はマイケルの罪を全て知っていた。
でもその悪魔の “伏線を回収するような言葉” に違う解釈が膨らんでいった。
悪魔は患者ではなく己の内にとり憑いてるんじゃないか。
ロザリア「楽しみましょ」という冒頭での地元のバーのウェイトレスの言葉。色欲
アンジェリーナ「あなたは一人じゃない」という母からもらったカードの言葉。母の死で神を恨んだ憤怒
バール「神の汚れたツメでお前の体内を掻きむしる」というルーカス神父の表現。ルーカス神父を疑って精神科医に見せるべきだと言った傲慢
悪魔に知られているというよりも己の記憶そのもの。
もともと信心深いマイケルが日頃から体に刻んでいる罪が具現化したのではないか。
そう考えると悪魔は実在すると言っても過言ではない。 (うーむ)
罪悪感が消えないマイケル
マイケルの父は自宅で葬儀屋を営んでいる。
大きくなったマイケルは家業を手伝うようになった。
マイケルは小さなころから遺体処置する父の姿をみてきた。
父はマイケルから死を遠ざける事がなかった。
父の仕事ぶりは完璧でいつも冷静で遺体に敬意と愛情をもっていた。
それは母が亡くなった時も同じだった。
幼いマイケルは母が亡くなった事で神を恨んだ。
でも父は母の遺体をいつものように敬意と愛情をもって処置した。
マイケルは神を恨んだ事にいまだに罪悪感を持っている。
それと同時に悲しみを見せず完璧な父が怖かったのかもしれない。
不気味だったのかもしれない。
普段からジョークも言わず黙々と遺体処置する父が。
そんなマイケルの想いが父が倒れた夜の夢に現れた。
小さな子供とっては死を扱う父に邪悪さを感じていても不思議はない。

最後お別れのルーカス神父に
1991年「羊たちの沈黙」のレクター博士が憑いてたよね

やめろw
それでいったら最後だけじゃなくちょいちょい憑いてたぞ

バアルが憑いたルーカス神父の視線が
顔ごとマイケルとかアンジェリーナを追うとこなんかもう

ほんとこわいよこの人
祈りで人は傷つかんよ

悪魔はいると言えるかもしれない。と同時に悪魔はいないとも言えるかもしれない。
でもこの映画を観終わって、悪魔がいなかったとしてもエクソシストがインチキとか無駄とかそういう事ではないと思った。
もちろん医学で治療できるものは医学に任せるのがいいとは思う。
実際にエクソシストが派遣されるには
2005年「エミリー・ローズ」でもあったように
“精神医学的な説明が不可能” という事を確かめてから教区司祭が許可を出すんだからその辺は大丈夫だと思うけど。
マイケル「対象者の多くは誤解では?」
ルーカス神父「私もそう思う。でも儀式を続ける。祈りで人は傷つかんよ」
このルーカス神父の言葉が全てのような気がする。
患者が悪魔が憑いていると主張するなら必要なのは悪魔祓いなのではないか。
もちろん医学的に治療をしながらでエクソシストが高い報酬を要求しない限り。 (エクソシストがそんな事をしないとは思う)
精神を病んだ患者に必要なのは寄り添う事。味方になる人がいる事が大事だと思う。
悪魔はいないと全否定して薬で朦朧とさせても解決しないんじゃないかと。
認知症の患者の話でこんなのがある。
夕方近くになると家に帰らなくちゃと外に出て行方不明になる老人。
いくらここが自宅だと説明しても出て行ってしまう。
でももう一日泊まって行ってくださいと言うと出て行かないのだそう。
まずは患者の主張を受け止めてそれに合わせて解決法を見つけてあげる方が効果があるんだなあと思った。
アンジェリーナの弟も悪魔祓いが必要だと思う。
もちろん医学的治療をしながら。
悪魔が憑いてなかったとしてもいいじゃないか本人の救いになるのなら。
祈りで人は傷つかないんだから。
あくまでも個人の感想です。みんなはどう感じたかな?
- マイケル・コヴァック (コリン・オドナヒュー): コヴァック葬儀社の息子 家を出たくて神学校へ進む 幼い頃に母を亡くしている
- ルーカス・トレヴァント神父 (アンソニー・ホプキンス): ウェールズ人 イエズス会のエクソシスト 医者
- アンジェリーナ (アリシー・ブラガ): ジャーナリスト 精神疾患を持つ弟がいる 弟は悪魔が話しかけてくると主張するが19歳のとき両親の判断で精神病院に入院させられる その事で弟を見捨てた罪悪感を持っている
- ザビエル神父 (キアラン・ハインズ): バチカンのエクソシスト講座の講師 マシュー神父とは大学時代からの友人
- マシュー神父 (トビー・ジョーンズ): マイケルをバチカンのエクソシスト講座に行くよう勧めたアメリカの神学校の神父
- イシュトヴァン・コヴァック (ルトガー・ハウアー): マイケルの父 コヴァック葬儀社を営む 遺体に敬意と愛情をもって完璧な仕事をこなす寡黙な人物
- ロザリア (マルタ・ガスティーニ): 16歳の少女 妊婦 父親にレイプされて妊娠した事で自分を責めている
- アンドリア (マリア・グラツィア・クチノッタ): マイケルの母 マイケルが幼い頃に死去